発達障害者の鬱でサバイバル生活

発達障害を隠して3年半。ついに解雇されました。

発達障害と仕事 ①飲食店

当ブログは初めて見る方でもわかりやすいように、あと前置きが長いと疲れちゃう方もいると思うので読みやすいよう簡潔に書くよう心掛けようと思います。(文才が無いのでできないかもしれないけど…。)

 

私はASD(自閉症スペクトラム)とADHD、鬱の診断を受けている30歳のシングルマザーです。歯科衛生士と認定カウンセラーの資格を持っています。正社員として働いたのは歯科衛生士だけですが、他業種のアルバイトも経験があります。そちらの経験から書いていきます。

 

学生時代のアルバイトとはいえ、社会に出るというのは強く責任感を持つことだと思っていました。また、働くということはつらいのは当然、絶対に逃げてはいけないと勝手にルールを作って自らを縛っていました。ASDの特徴である「こだわりの強さ」なのかもしれません…。

 

しかし、それは間違いだったと思います。先輩方からミスを正していただけることは良かったのですが、過剰な行為、例えばパワハラやいじめを受けても、耐え抜いた職場がありました。私自身ずっと努力し続けてもミスは減りませんでしたし、心身共に疲れて異常な状態でした。まじめに頑張り過ぎちゃったのです。今思うと、鬱は学生時代からだったのかもしれません。

 

飲食店のアルバイト歴は某チェーンの焼肉屋(2年)、居酒屋(1年)、定食屋(半年)、ホテルレストランの配膳(3ヶ月)、キャバクラ(3ヶ月)です。ちなみに、私はデブスなのでキャバクラではデブデブ言われ、かなり傷つきました。

 

●某チェーンの焼肉屋(2年)

18歳。人生初のアルバイトです。先輩方は最初は優しく教えてくれるのですが、私のミスの多さに次第に呆れてくるものの、まだ若かったので許されてる感じはありました。

メモを取る、まとめるなど常に努力をしていたので周りは頑張りは認めてくれるのですが、テーブル番号を間違えて商品を持っていくような初歩的なミスが多発するので頑張るところがズレてるよねってよく言われてました。

あと、真顔が怖いと言われたので、この頃から常に笑顔でいようと思いました。このルールのせいで悲しいことを言われても笑顔で流すようにしていたので、異常だったと思います。

次第に仕事の出来なさで店長のお付きの女にいじめられ、悪口を直に言われ、優しい先輩方も辞めてしまってたので、私も居づらく辞めてしまいました。

 

●某チェーンの居酒屋(1年)・定食屋(半年)

こちらも私の不注意でミス連発でしたが、店長は優しく指導する感じの方でした。今考えると、会計を間違えるのはもちろん、私のせいでハンディの中の注文がA卓とB卓でぐちゃぐちゃになってしまったり、迷惑ばかりかけていたのに「次は気をつけてね。」と強く怒られた事が無かったのが不思議です。

もしかしたら本人は言ってたのかもしれませんが、発達障害の私には伝わらなかったのかもしれません…。でも、シフトはがっつり減らされていました。なので、バイトは掛け持ちが多かったです。

定食屋の方は半年で潰れました。もしかしたら、注文をハンディで間違えて送りまくった私のせいかもしれません…!

 

●ホテルレストランの配膳(3ヶ月)

こちらは固定のホテルではなく、今日は〇〇ホテル、明日は△△ホテルと都内の様々なレストランに行かされます。

私は着くまでの計画や時間の感覚がわからず、遅刻しまくってました…。遅刻すると罰金があるので最悪でした。

しかも、新人は誰も行きたがらない劣悪な環境のホテル(従業員がクソ)のところに行かされます。配膳以外に掃除もするのですが、掃除の指示も曖昧で早くしろと言うのでメインのところを綺麗にしたら、「テレビの後ろもだ!」と言われ、丁寧にしていると「まだやってるよ。」と他の従業員と馬鹿にしたり、シンデレラのような扱いをされました。

 

●キャバクラ(3ヶ月)

これがきつかった…。若かったのでお客さんからのウケは良かったのですが、トロいのでお酒を作るタイミングが悪く先輩方に作らせてしまったり、聞き役に徹するのがとてもつらかったです。(若い頃はよくしゃべっていました。現在はあまりしゃべりません…。)

空気が読めなくて他の女の子とも上手くいかないし、露出の多い服なのでエアコンで寒いし(感覚過敏)、夜型になってしまって学業との両立が困難だったので辞めてしまいました。

 

以上のように、飲食店やりたくても不注意が多い人や空気が読めない人が長く続けるためにはメンバーの中に優しく世話をしてくれる人がいるかによると思います。運の要素も強いし、優しい人に迷惑を掛けることになります…。

こんにちは!発達障害がある『めええ』といいます!

こんにちは!私は発達障害ASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD】とその二次障害である鬱だと診断を受けています。診断を受けたのは大人になって働いていて、28歳のときでした。

 

現在はシングルマザーで息子が一人。彼が生活の全てです。彼には発達障害は今のところ無さそうですが、まだ幼児なのでわかりません。

 

これから、少し自分語りをさせていただきます。発達障害があると言っても本当にいろんな人がいます。その一部ということで読んでいただければ幸いです。

 

 

 

  1. 幼少期〜思春期
  2. 大学生
  3. 結婚と出産
  4. 就職と離婚
  5. 解雇

1.幼少期〜思春期

私は幼少期から思春期まで比較的おとなしく、室内でイラストを描くのが大好きな女の子でした。

ただ、周りの友達と話が理解し合えないことがあり、無視や悪口などのいじめを受けることも多くありました。

 

小学校低学年まではなぜ周りの人は自分の話を理解してくれないのか、パニックになって人前で泣くことも多くありました。

 

その後は、それではいけないと感じ、頑張って人当たりを良くしていたので、友達は作れたものの「めええは天然だよね〜!」「めええ話ちゃんと聞いてる?」とよく言われていました。

 

正直、当時私はなぜそう言われてしまうのか意味がわかりませんでした。子供なりに今までの行動の反省点を考え、より良く、いつも友達に嫌われないように過ごしていました。

 

しかし、大抵の周りの人達には話を聞いていない子、空気が読めない子と思われていていて、一部では「面白い!」と好意的に見てくれる人もいたものの、他の子とは違うんだなあと薄々感じてました。

 

このように変わった子供でしたが、暗記が得意だったため、成績も上位にいることが多く、親も発達障害だとは夢にも思わなかったと言います。

 

2.大学生

転機が訪れたのは大学生になった頃でした。大学生になったら一人暮らしをしたかったので、アルバイトでお金を稼ぐことになりました。最初は飲食店のアルバイトでした。

 

始めのうちは優しく教えてくれた店長や先輩方ですが、次第に私のミスの多さに呆れ、当たりがだんだんと強くなりました。

他のテーブルに頼んでない料理を持って行ったり、ハンディで頼まれてない商品を注文してしまい厨房に迷惑を掛けたりと、あげたらきりがないほどミスをしていました。

 

他のアルバイトでも同じようなことを起こしました。私はただ自分の努力不足なんだと思い、予習復習を欠かさず、メモを書き直して何冊にもまとめたりしました。

それでも、ミスはなくならず、自分を責めることが多くなりました。

 

この時点で自分は周りと比べておかしい、何かあるのではないかと思っていました。しかし、当時は『発達障害』という言葉は現在ほど周知度が無く、「努力が足りない!」と一掃される時代でした。

 

3.結婚と出産

四年制の大学を出ましたがバイト生活で疲労困憊していたため、『働く』ことが怖くなりました、就職活動はしていましたが途中で放棄し、逃げるかたちで当時の彼氏と結婚しました。

 

やがて、歯に興味が出て歯科衛生士の専門学校に入り直しました。1年生の時に妊娠し、休学。仕事と家庭を両立しつつ、一夜漬けの暗記のみで試験は突破できましたが、友人関係で少し難があった学校生活でした。

 

4.就職と離婚

卒業後は医療系専門職なので、スムーズに正社員として就職でき、慣れないながらも真面目に働いていました。

 

しかし、その正社員として初めて入った会社で、同僚(歳下)と比べ成長が遅く、信頼も全くされてない状況を知り、愕然としました。

 

その少し前に離婚しシングルマザーになっていた状態なので、すがる思いで自分がなぜ人に劣るのかネットで調べていたら『発達障害』にたどり着きました。

 

発達障害であれば、なぜ努力しても結果が伴わないのか説明がつくのかもしれない…。」と、すがる思いで初めて発達障害専門のクリニックを受診し、発達障害だと診断されました。

 

5.解雇

発達障害があっても子供を養わなければなりません!真面目に働いていたのに、解雇はつらいことです。今度は長く働ける職場に就くのが目標です。

 

どうか、応援下さると嬉しいです!